精密機械加工からカーパーツ・アートまで、オモシロマジメな京都山科の工作所です。

進化し続ける工作所

精密機械加工を初めて半世紀。
北川工作所は、京都山科にあるオモシロマジメな工作所です。

私達は常にお客様の視点で考え、満足のいく製品を提供し続けるために、新しいアイデア・技術向上を追求します。
「何事も出来る。」という信念を持ち、常に変化し続ける時代に対し、情報収集を怠らず優れた価値を創造し、スピーディーに商品を提供いたします。

北川工作所写真1
仕事も遊びも、全力疾走

私達は、常に「仕事も遊びも、全力疾走」と考えております。
「モノづくり」の原点は発想にあり、いかに柔軟な考えを持つかが重要です。
そのためには、子どものように自由な発想で、常に進歩するために疑問を持ち、考えて行動し続けなければなりません。
遊びから生まれるアイデアは仕事にも活かされ、結果、お客様の「満足」へと繋がります。

会社概要
商号株式会社 北川工作所
創業1962年
代表者北川昌志
所在地〒607-8357
京都市山科区西野櫃川町75-1 [ google map ]
Tel075-581-8633
Fax075-593-2204
WebSitehttp://www.kitagawa-kousakusho.com
沿革
(株)北川工作所の創業者、北川慶造は、1924年(大正14年)京都山科で産声をあげた。
幼い時から、「モノづくり」が好きだった慶造は、京都の「山階高等小学校」を卒業後、現在の東山五条にある鉄工所へ見習い工として、修行に出る。

さらにモノづくりの技術を磨きたいという向上心から東京へと行き、軍事工場であった「中島飛行機株式会社」へと勤め、軍用機を製作。 (1942年)太平洋戦争の真只中であったため、工場が標的となり疎開。その後、静岡の浜松工場へと移り、終戦を迎えた。(1945年8月15日)。 いつしか慶造は学ぶ立場から、機械加工の指導員へとなっていた。

終戦後、京都山科へと戻り鉄工所へと勤めた後、「自分の工場を持って仕事をしたい。」という気持ちから、現在の母体である、「北川工作所」を創業(1962年)。 当初は、機械加工や金型製造、繊維・ゴムの試験機、真空管装置の製造・修理などを行う。

二代目、北川昌志は車が好きである。自動車運転免許を取得後、20歳でカーレースにデビュー。 実家の工場でパーツを製作しては、サーキットへと繰り出していた。 順調にステップアップを果たした昌志は、当時のフォーミュラーカー「FL500、Formula-3」ドライバーとなる。 その後、息子たちがレーシングカートを始める時には、製作経験を活かし、さまざまなカートパーツを世に生み出した。

現在も当時と変わらぬ精密機械工場として、製造・加工をしているのだが、時代の流れは早く、お客様の求めるものも変化し続ける。 それにいち早く対応すべく、情報を収集し新たなアイデアで、お客様のニーズに合った商品を製作し提供している。